犬と僕

    技术2022-05-11  12

    田んぼの端の通学路にある、古い造り一軒家。そこに、そいつはいた。

    砂で薄汚れたからだ。ぼさぼさの毛並み。脂の溜まった目。いつもふにゃりと垂れた尾。短い鎖に繋がれたその老犬は、玄関横の日陰で、いつも寝そべっている。名前も知らないけれど、毎日しょうがっこうへ通うためにその家の前をとおるぼくは、そいつのことがきになっていた。

    時々、飼い主がいえをでいりするのをみることがある。そのときだけ、そいつはじべたから体をおこしてきちんとおすわりし、尾をぱたぱたとふっていた。でも、飼い主は犬を撫でてやるどころか目を向けることすらしない。そんな主人を見送るそいつのめは、それでも、まっすぐできれいなものだった。主人の事がすきなんだな、とぼくはかんじた。

    僕がそいつのことをしったのはしょうがっこうににゅうがくしてからだが、少なくとも四年生になるそのときまて、そいつはそんな調子でずっとそこにいた。干上がりそうな暑い夏の日も、降り積もるゆきに沈む寒い冬のひも。散歩に連れて行かれているところさえみたことがない。ぼくのしるもっとまえには、愛されていた頃があったのかもしれない。そのときのことを覚えているからなのか、そいつは、しゅじんのすがたをみるたびに嬉しいそうなようすをみせていた。たとえ今、自分に愛情がむけられてきなくとも。

    ぼくは、がっこうからいえであるアパートにかえるのがいつも憂うつだった。両親が共働きで、かえってもどうせだれもいない。両方ともかえってくるじかんは不規則で、ぼくのかぞくは、それちがいばかり。そしてしばらくまえから、りょうしんのけんかがよくめにつくようになって。

    そんなぴりぴりしたくうきも嫌だったが、何より僕がいやだったのは、両親が、ぼくをほとんどあいてしてくれなくなたことだった。それなりにべんきょうができ、とくに問題をおこすこともなく、ぼくはりょうしんにとって手のかからないこどもらしい。だからなのだろうか。りょうしんは、僕のほうをみなくなった。無関心、という名の切れ味の悪い刃は少しずつぼくのこころを痛めつけていた。ぼくは、だんだんりょうしんをきらいになっていった。

    ある日、いつものように学校かえに犬のいる家の前を通りかかると、いつも寝そべっているはずのそいつが、めずらしく表のほうを向いてすわっていた。遠くを見て、じっと、なにかをまっているようだぅた。あくる日も、そのまた次の日も。そいつは、座って遠くを見つめていた。三日目の夕方。僕は偶然、近所の人か立ち話しているのをきいて、あのいえのかぞくがひっこしていってしまったことをしった。

    いぬは、つながれたまま置き去りにされたのだ。

    その事実に、ぼくはひどいシャックをうけた。とぼとぼと家に帰ると、はやくかえってきたらしいりょうしんが、これまでにないようなおおけんかをしていた。狭い居間ではげしくいいあらそっているりょうしんをみてぼくは、それをやめてほしいと、たまらなくおもった。いつもは、見ないふりをしておとなしく自分のへやにこもるのに。その日に、なぜだかふたりのあいだにはいってしまぅた。そして、あっちへいっていろ、と激しく突き飛ばされた。せなかとうしろあたまを思い切りかべにぶつけた。ぼくはりょうしんにせをむけていいえをとびだしていた。

    夕暮れの道を駆け抜けながらぼくが思い浮かべたのは、あの犬事。相手にされなくて。自由になることもできなくて。ぼくとおなじなんだとおもった。夢中で走り続けてそのいえに辿り着くと、やっぱりいぬはすわったまま、しゅじんのかえりを静かに待っていた。かえってくると、しんじてうたがわない。その瞳が、とてもきれいで、よけいに、いたましかった。

    ぼくははじめていつにより、しゃがみ込んで、その汚れてくすんだ体をそっと撫でた。毛はごわごわだけれとも、とても、あたたかい。そいつはさわられてもいやがることなく、ぼくのすきにさせてくれた。涙が、とまらなくなっていた。ぽろぽろなきながら、ぼくは、そいつのからだをなでつづけた。

    いぬははらばいになり、偶然かもしれないけれど、ぼくがよりかかってすわれるようにしてくれた。膝をかかえてじべたに座り込み、こしのうしろにそいつの温もりを感じながら、ぼくはかんがえた。こいつは、すてられた今でも主人のことがすきらしい。ぼくはりょうしんがきらいだから、そこだけ、ぼくとちがうとおもってたんだけと。

    ほんとうに、そうだろうか。きらい、とおもうのは、それに対して気持ちが向いているということであって。好かれたい、という気持ちの、裏返しだ。 好きな人だから、好かれたい。おもいは、ただそれだけ。おなじなんだ。僕は、険悪になる前の両親の優しさをしってりる。だから、こころのどこかで、ぼくも、ずっと信じている。いつかまた、ぼくに気づいてもらえるときがくると。

    すっかり濃くなった夜の闇にだかれ、いつしかまどろんでいた僕は、そのみみに、母さんの呼び声をとらえて目を開けた。顔を上げて横を向くと、そこに、かあさんがたっていた。立ち上がった僕は、駆け寄った母さんは強く抱きしめてくれた。そんなことは、とても久しぶりだった気がする。そして、ぼくになんともいった、「ごめんね」と。

    それから、ぼくはひとにで、時々とうさんか母さんがいるいるときは一緒に、毎日いぬのところへ餌とみずをやりにいくようになった。うちはアパート暮らしなので犬はかえない。でもどうしてもほうっておけないという僕の滅多にない我がままを、両親はこういう形でききいれてくれたのだった。 そうして数日がたったある日、ゆうはんをあげて帰りかけたとき、くるまのエンジンおんがきこえてきて、ぼくとかあさんは離れたそちをふりかえった。犬がいるその家のまえに車が横付けされ、そこから、元住人だったいぬのかいぬしがふたり、おりてけた。助手席に乗っていた飼い主の女性は、おりるなりいぬへ走りよって身を屈め、そいつを、だきしめた。泣いているようだった。ああ、あの人たちも、わすれていたものにようやくきづけたんだと、そう、感じた。

    母さんはぼくのてをにぎり、微笑んだ。そして、また歩き出す。僕らの家に向かって。


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